■S&E■

人間は不可思議な生き物だ。
密室に自身を煌びやかに装飾して異性を惑わし、音楽に合わせて踊り狂う。
不必要な量の食べ物、脳を冒すアルコール。
「あの、」
楽しんでいるのかと思えばそうではなく、処処到るところで大手財閥や貴族が訳の分からない含みのある会話を繰り広げている。
「あのう」
嫌ならこんなものを催す必要は無いのではないだろうか。自分には到底理解出来ぬのだと思う。
休憩用に置かれたソファには座らず、壁に寄りかかって溜息をついた。
「Mi scusi.」
はっきりと、正確な発音が耳を劈いた。
今ここで使われている言語ではない。使える人間の言語の一つではある。
がしかし、『Sig. diavolo(悪魔さん)』とは頂けない。
振り向けど誰もおらず、首を傾げかけたところで上着の裾を誰かが引っ張った。
見れば小さな少女である。大きな碧眼がこちらを見ている。幼いのに賢そうな顔は大人びているのかただ老けているだけなのか。真一文字に結ばれた口は大きなへの字を書いている。
金髪は結い上げられていて、それでも上流階級の娘なのだと知れた。
「Cosa è la questione? Giovane signora scortese.何故悪魔だと?」
少女は「あら、英語も使えるのね」と無関心そうに感心すると、二階のバルコニーでシャンパングラスを煽っている連れを指して飄々と言った。「だってネヴァンはいつもイタリアンだから」
グラスを掲げてみせるネヴァン。
膝を曲げ、少女と目線を合わせるようにしゃがんだ。何故そうしなければならないのか、良く分からなかったが。
「君は?」
「エヴァ。楽園で林檎を食べちゃった方の、エヴァ。おじさんは?」
「おじ…!」
無論人間よりは多少長生きはしている。悪魔の中には好んで老人に化けたがる者もいる。加えて少女から見れば自分はかなり年長に見えることも、…認めよう。認めたくないが。
「おじさんじゃない。スパーダだ。」
「Ercole Spada?カーデザイナーの?」
「博識だな。だが違う。ファーストネームの方が、スパーダ。ファミリーネームは無い」
絹の手袋を嵌めた掌で自分の名のスペルを書いてみせる。
そして何故この子供にそこまでしてやらねばならないのかという至極真っ当な疑問にぶち当たった。齢14、5程の少女相手に一体何をしているのだ自分は。
「そう。じゃあ一緒ね。私もファミリーネームが無いわ」
そんなはずはないだろうに。この場所で、この身なりで、この物腰で。
アイスブルーの瞳を見る。海の碧とも空の蒼とも違う。
(氷の色だ)
凍てついた氷の青。何かに凍えてしまっている冬の色。
「あなたの瞳は炎みたいに真っ赤なのね」
まじまじと眺めてしまったため、先ほどの発言を失言だと思ったのか、視線を逸らしながらエヴァは言った。
自分が炎なら何故その氷は融けないのだろうか。
「…だから悪魔だと?」
「いいえ。ネヴァンは金色の太陽みたいな色でしょ?」
先ほどの場所にはもうネヴァンはいなかった。シャンデリアの間を蝙蝠が数羽羽ばたいている。
(…?)
違和感を覚える。何故と思考が巡る。
「?悪魔はシャンデリアが珍しいの?」
同じく、恐らくつられて上を見上げたエヴァがシャンデリアを凝視する。
「もしあれが落ちてきて、下で踊っている人たちが皆下敷きになっちゃったら私、きっとこのパーティを楽しめると思うわ」
思うに、というか察するに。
彼女はこの外面だけの社会の構造を幼いながら見破っているのではないだろうか。
媚び諂う人々陽気に笑う貴婦人パーティの後酔いに任せてやることなど、淫魔と大して変わらない。
寧ろ憤慨するかも知れぬ。何せ、それらの営みは彼女等にとっての食事に限りなく等しいわけで、ただ性欲を満たそうと躍起になるやからとは一線を画したいに違いない。
「パーティは嫌いなのか」
「うん」
「私もだ」ソファに腰を下ろしてくるくると回る人の群を見やる。「だが彼等が死んで何が変わるわけではない」
人が人である限りはな。
「そうかな」
エヴァもまたダンスに興じる人々を見る。
「そうさ」
「変なの」
「?」
「悪魔なのに、人間みたいな事言うのね」
それも、お爺さんみたいな。
「君は悪魔みたいなことを言ったじゃないか」
それも、とびきり性質の悪い悪魔のような。
暫しの沈黙。
ワルツが終焉に差し掛かり最後の盛り上がりへ向かう。
婦人の甲高い笑い声も紳士の酔い覚めやらぬ自慢話も、全ての音が静止したかのように二人は静寂の中にいた。
ただ、ヴァイオリンが聞こえる。
二人はほぼ同時に笑みを浮かべた。
「curious!」一人は歳相応の少女らしい笑み。
「You, too.」もう一人は殆ど表情を変えないで目元だけの薄い笑み。
ワルツが終わって歓声が上がった。次は我とばかりに紳士が婦人を踊り場へ誘う。
「ねね」
「うん?」
差し出された手の甲。細くてしなやかで、子供だけれどもレディの風格がある。
お互いに異端の名を背負っていること。
人間にも拘らず強いものに媚びず、流れに逆らい、孤独を恐れない。
不意にある種の畏敬と称賛と尊敬の意が湧き起こり、スパーダはその小さな手を受けた。