■S&E■

世界が回るというのは、こういう事なのかもしれない。
「また面白いこと考えているのね」
「目が回りそうだ」
「それは是非拝見したいわ。ダンスで目を回す悪魔なんて!」
先ほどのワルツとは対照的にアップテンポな曲の中、舞踏会一身長差のあるカップルがホールの中心で踊っている。
少女を知る者が皆不思議なものを見るかのような視線を遣しているが、それに気が付いているのは彼女のパートナーとバルコニーから複雑な表情で二人を眺める夜魔だけである。
「…よほど珍しいのか?君が踊るというのは」
「実は初めてなの。今まではいつも端っこの方にいたから」
「なるほど」
「きっと皆噂しているわ。『あの変わり者のエヴァと一緒に踊ってる紳士は誰?』って」
「……なるほど」
「困った?」
「それなりに」
ぐるぐると世界が回る。自分と同じ速度で動いているのは彼女だけで、彼女だけが姿形を捉えることが出来る唯一の物体だった。
(なるほど、このために人は踊るのか)
踊り続ける限り、視界に捉えられるモノは一つだけとなる。お互いがそうだから、結びつきが強くなる。
いくら悪魔とてこんな年端もいかない少女に手を出すほど自分は愚かではないだろうが。
寧ろ問題は別の、もっと下の部分にある。
自分は悪魔で、彼女は人間だ。犬は猫に恋をしない。種の違いは絶対的で且つ二つの生命は、生きる時間すら違う。
良く知る夜魔の、愛した者の墓標の前に立ち尽くす様は見ていて気持ちの良いものではなかった。
そう。いくら愛し合ったとて、命の灯火はすぐに消えてしまう。
「可哀想だなって思わないでね」
「何?」
「人間を可哀想だと思わないで」
「そんな顔を、」
「してた。すっごく!」
なんと答えたものかと思案しかけると、また考えようとしてる!と口を突き出して言われた。
「ねね」
「うん?」
世界が回る。
「悪魔って長生きなんでしょう?」
「ああ」
見えるもの一つ。一瞬の命の灯。エヴァ。
「じゃあ、一つだけ、お願いきいて」
「…聞こう」
なるほど人はこのために、
「あのね」
その言葉は膨大なガラスの破壊音にかき消されて聞こえなかった。
悲鳴、怒号。あとは良く知った低脳な者どもの雄叫び。
咄嗟に彼女を懐に寄せた。すぐ脇を血塗れの紳士が駆け抜けた。
そして数歩も行かないうちに鎌が背中に突き立って大理石の床に縫い付けられる。血飛沫が飛び散ってエヴァのドレスに赤い斑点が付く。
「振り返るな」
「え?」
「スパーダ!」
バルコニーからネヴァンが叫ぶ。
何故すぐに気が付かなかったのだろうか。
二人の丁度頭上にある巨大なシャンデリアが低級悪魔が何匹か乗ったせいで天井に亀裂が走り始めていた。
「落ちてくる!」
シャンデリアは既に落下を始めていた。
一同が逃げるのをやめて二人を凝視する。
あの、ネヴァンですら口を覆って目を大きく見開いている。
迫り来る煌びやかな装飾。
目をきつく閉じて腰にしがみ付く少女。
シャンデリアが二人を押し潰す瞬間、スパーダはそれに向かって徐に片手を伸ばしたのだった。
いくつかの装飾は衝撃に耐えられずに真鍮が折れて床で跳ね回った。
照明が消えて、夜が進入する。
光源は悪魔の青白い炎だけ。
片手で巨大照明を受け止めた男はもう片方の手で少女の肩を抱き、片眼鏡すら傷一つ無くその場に立っていた。
がしゃん、とシャンデリアを脇へ投げ捨てる。
誰かが「悪魔だ!」と叫んで、再び舞踏館は恐慌状態に陥った。
「表に逃げろ。皆が行く方に従って逃げれば助かる」
右往左往する人々。死体で足をとられて恐怖で立ち上がれない人間もいる。コントラバスの弦が切れた。
「でも」
「パーティは終わりだ。その歳で死にたくないだろう」
何処からか火の手が上がって、カーテンと絨毯に燃え広がった。
「でも」
「行け!今度は守らない」
半ば引き剥がすように少女から離れる。エヴァはまだ走ろうとしない。
背後に迫る悪魔を今まで隠していた翼で貫いて灰に還す。
「行け!」
「Eva! Affretti!」
ネヴァンが急かす。
ようやく身体を翻しかけて―――やめた。
「エヴァ!」
「Per favore aspetti un momento!」
ネヴァンにそう叫び、エヴァがドレスの裾を破って捨てた。ピンヒールの靴も脱ぎ捨てている。
逃げるのには邪魔だ。賢明な判断だと思う。
「また会える?」
蝙蝠が舞う。
炎が踊り狂う。
悪魔が狂喜する。
血が沸騰するような、高揚感が自分の存在を何よりも知らしめた。
「生きていれば「約束!」
すかさず差し出された手。
何をこんな時に悠長な。
「約束して。そして今度こそ私のワガママ、聞いて」
頷かない事にはきっと梃子でも動かない気だろう。
人間は時々驚嘆するような強さを垣間見せる。
促すように差し出された手が揺れた。
化粧は落ちて顔は煤だらけ、ドレスはボロボロで、しかも裸足。結われた髪は解れて灰を被っていた。息苦しいのか呼吸が浅い。
海の碧でも空の蒼でもない凍てついた氷の青。
炎に巻かれても溶けない冬の色。
それから逸らすことなく、スパーダは少女の甲にキスをした。





「やるじゃない。驚いたわ」
「ずっと見ていたな」
「彼女、変わってるわよね」
「大分な」
「貴方が言えた義理じゃないでしょうに」
「なら聞くな」
「独り言よ」
血の臭いは煙にかき消されている。事切れた人間の肉が燃える嫌な臭いがする。
なんだか知らないが相当に腹立たしい。腸が煮えくり返りそうだ。
もう人間の形をしてはいない。する必要が無い。
「さて、と」
紫電を走らせてネヴァン。

「パーティは終わりだ」


この黒く禍々しい姿はどうしても彼女に見られたくないと思った。