「生きることは病であり、眠りはその緩和剤、死は根本治療。」

ウェーバー

 

 

大きな闇に抱かれて眠っていた。
暖かくも寒くも無く、上も下も無い世界でまどろんでいるところへ、急に大きな鐘の音と共に闇は引き裂かれ、遠くの方へ追いやられていった。
まだ眠い私の身体はあくまでも睡眠を欲していたが、何者かがぐいと乱暴に私の肩を掴んで引き寄せた。

 

それで、目が覚めた。

 

 

 

 

 

 

 

 

「おはよう」
おはよう。
「ギリギリ間に合った」
・・・。
「おや、迷惑そうな顔をしているね」
大きなお世話でした。
「死んでしまうところだったのだよ?」
ゆっくり眠りたかったのです。それだけです。
「それは失礼。だが君は晴れて生き延びた。死の淵から冥界へ転げ落ちそうになっていた君を引っ張りあげたからね」
ここは眩しいです。
「前いたところが暗すぎたのだ。いずれ慣れる」
眠りたいです。
「まだ言うのか。余計なお世話だったかな?」
本当に。
「何処までも失礼なヤツだな」
結構です。
「しかし君はもう決定なのだよ。僕がそう決めてしまったからね。君はまたあの世界へ戻っていかねばならない。今はそのための移行期間とでも思ってくれればいい」
戻れないのですか。
「無理だね」
・・・。
「そんな目で見ないでくれ。お礼を言われこそすれ、怒られるとは思っても見なかった」
死とはあの闇の向こうにあったのですか。
「そうだよ」
生とはこれから始まるところにあるのですか。
「それは少し違う。生は終わってなどいない。したがって始まってもいない」
しかし私は死に逝くはずだった。
「生も死も始まってなどいないし終わってもいないのだよ。鶏と卵はどちらが先か?その問に答えられるものはいないのと同じで」
なら何故生と死を分けてしまったのですか。
「それは難しい。・・・君は、夜と昼の区別がつくかね?」
太陽の出ているときと、月が出ているとき。
「そうだ。だが違う。『太陽が出ている』とは?『月が沈む』とは?球体の上で浮き沈みなどありはしない。地平線の向こうは常に夜明けと日没がある。…では春と秋は?また夏と冬は?乾季と雨季は?地上と宇宙は?不安定な区切りなど何処にでも転がっているよ」
それらと生死は違う。生死の狭間は行き来が出来ない。
「そう。生者は死者になれるが、死者が生者に戻ることは出来ない。生と死は常に一方通行だ。では、愛は?」
愛?
「愛。君たちが作った言葉だ。アガペーとも言うのか?何でもいい。愛。君は愛が双方向なものだと思うか?」
・・・いいえ。
「そう。君も知るとおりに、愛は双方向な感情ではない。感情とは、常に一方通行であるのだよ。愛している、愛されている。これをお互い好き勝手やっているだけだ」
空しいです。
「だから面白いと言える。求めるからと言って与えられるわけではない。だからもどかしく、儚く、美しいのだ。違うか?」
問題の本筋を離れているような気がします。
「そうかね。私が言いたいのは、生死が不平等であるからこそビョウドウを保っているという事だ。そこに区切りがなければ、人間など醜くて見るに耐えない。だが、」
死を持って美しいものとなれる?
「そう。いつかは死ぬ。有限なものだから」
しかし貴方は先ほど終わりも始まりも無いと。
「全てのものに始まりも終わりも含まれているのさ。君の中に生も死も含まれているのと、一緒。勿論愛も」
それでは今までの議論は全て無駄になります。
「いいかい。全てが無であることなど、それこそ有り得ないのだよ。無と言う有がある。0と言う言葉がある。二つは無い。一つしかない。そこに全てが含まれていて、そこで全てが簡潔する。もう時間だ」
待ってください!それでは、あまりにも・・・。
余りにも淋し過ぎる!
「なに、寂しがることは無い。それを今度は探せばいい」
でも、でも僕は。

 

僕は。

 

 

 

 

 

朝日が差し込む部屋の、狭いベッドの上で重い瞼を持ち上げた。
聴覚が一瞬後に戻ってきて、祝福の鐘は聞こえず、電子音が無機質に鳴り続けていたことを知る。  

世界が、生の途中が、死への道程が、明日の準備が、昨日の続きが。

 

 

今日が始まる。

 

 

「我々はときおり、悪夢から目覚めた瞬間に自らを祝福することがある。
我々はおそらく、死んだその瞬間をみずから祝福することであろう。」

N・ホーソン

 

 

 

* * *

全ては一つでしかないのだとしても。