床に広がる腐臭。
複数の骸骨が浮かぶ灰色の液体はウネウネと床を這って彼だったものに近づいた。
液体は蛇のように彼の死骸を隈なく調べ、彼が死んでいるということを何度も確認した。
揺すってみたり、伺うように覗き込んだり、寄り添ったりして、汚い水溜りは離れようとしない。
「・・・・・・・・・」
どうやっても生き返らない、と分かったのか汚い液体の蛇はタプンと音を立てて水溜りに戻った。
「・・・・・・・・・・・・・・」
その光景を部屋の隅から眺めていたトリッシュは、僅かに顔を歪ませた。
(何コレ)
気持ち悪い。
(悪魔ですらない物が、)
悲しんでいる?
(……気持ち悪い)
依然として死骸から離れようとしない水溜りは、悪魔が作った悪魔ですらない代物で、暴走すれば魔界も破壊しかねない、人間界で言うところの核兵器のはずだ。
何故、彼の死を何度も確認するような行動を?
「―――暴走…?」
まさか。そんなベクトルで暴走するなんて、想定外だわ。
魔界の誰もが手を付けられないコレは、暴走の果てに感情を生やしたとでもいうのだろうか。
ナンセンス。チープな三流小説ね。
突然黒い水溜り・ナイトメアはぶくぶくとあわ立ち、揺れた。
絶対零度の癖に、沸騰したかのように。
そのうち水溜りは徐々にその面積を狭めて行く。どうやら移動するらしい。
行き先は、恐らく魔界。
彼を殺したものが、たった今墜ちて行った場所。
シュルシュルと零れ落ちてナイトメアは消えた。
トリッシュはそれを確認してから、ゆっくりと改めてバージルだったものに近づいた。自分を襲うことは無いとはいえ、やはりアレを好むものではない。
チャプ。
不意に響いた水の跳ねる音に背筋に悪寒が走る。
死体に気を取られすぎていた?でもアレが消えるのはしっかりと確認したはず。
恐る恐る足元に視線を落とす。
自分の顔が波紋に揺れていた。
透明な液体は、床の染みと共に鈍い光を受けてトリッシュの呆けた顔も映し出している。
「透明?」
そんなことは有り得ない。アレは、汚染物質で出来たあの水溜りは、透明なものなど出るはずではないのだから。
何か有害な物ではないかという考えと共に、先ほどの光景が頭にリフレインする。
死。
悲しみ。
暴走。
感情。





――――もしかして。





「涙、とか言うつもり?」



悪夢のくせに。
無色透明の液体は思ったよりも面積が広く、死んだ彼は水に波紋を付けることなく浮いているようだった。
何だか無性に腹立たしく思えて、トリッシュはバージルの屍を思い切り踏みつけた。
人間とのマザリモノのくせに、涙などと言う余計なものばかり持っているくせに、貪欲に力を望んだくせに。どうして、どうしてあんな悪魔よりも悪魔らしい物が、悲しんでなどいるのだ。矮小な、生き物の、在り来たりな、死のはずなのに。
ぐりぐりと踏みにじろうとして、しかしそれ以上は力が入らなかった。
「・・・・・・・・・」
トリッシュは居た堪れない気持ちで足を下ろした。
カツン、とヒールが床に当たって、一際大きな波紋がゆっくりと広がった。