きらびやかなネオン。
鳴り止まない音楽。
誰もが一度は夢見、そして夢破れていく、蜃気楼の街。






色彩ラスベガス







「『眠らない街』とはよく言ったもんだよな」
「そーね。毎日馬鹿みたいにお祭り騒ぎ、脳みそとろけそう」
誰かと誰かの話し声が近づいて遠ざかった。誰もが笑顔で、夜のアスファルトを踏み鳴らして歩いていく。夜ではあったがネオンがひっきりなしに点滅しているので通りはまるで昼間のような明るさだった。
実は僕はこの場所に来るつもりではなかった。正直、何処に向かっているわけではないけれど、この場所を蔑視していたのは確かだった。
けれど僕は此処にいる。
すれ違う全ての人が笑顔で片手を上げて挨拶をして行った。
どの男性もスーツを、女性はパーティードレスを着ている。女性は夜の闇でも自分がよく栄えるように濃い化粧をしていた。
キョロキョロと辺りを見回しながら歩いていると、一組のカップルが近付いてきた。
「よう、調子はどうだい?」
スーツをラフ──というよりだらしなく──着崩した彼氏が聞いて、
「あんまり楽しそうじゃないのね」
答える前にラメの入った赤いドレスを着た彼女が僕の代わりに言った。
「なにがつまらないんだ?欲しい物はなんでも手に入るというのに」
「お金も!」
「富も!」
「権力も!」
「女も!」
「男も!──ってそれどういう意味よ」
「い、いや…。それは兎も角!なんでも手に入るこの街で、お前は何を手に入れてないってんだ?」
一気にまくし立てるカップル。一瞬険悪な雰囲気になりかけたが、彼氏がやんわりと流して再び僕の顔をのぞき込む。
僕は答える代わりにかぶりを振った。答えるべき答えさえ持っていなかったからだ。
彼氏はフム、と唸ると顔を離した。彼女が視線と一緒に思考を巡らせてからポンと手を打ち、
「わかった!女でしょ!」
「そうか!なるほどな。この街で独り身は寂しすぎるもんな」
違う、と言おうと口を開きかけたがそれよりも先に彼氏が妙に親しげに肩を組んできて、ネオンの輝く建物群を指さした。
「女のこと任せろ!簡単だ。カジノで片っ端から口説けばいい。すぐに遊んでくれるぜ」
「本当はみんな寂しがり屋だからね」
「まあ頑張れや、兄弟!」
どうやらこのカップルは人に喋らせる隙を与えない主義らしい。背中をガンガン叩き、一方的にそうまくし立てると二人はまた雑踏に消えていった。
カップルが消えて、ようやくカジノらしい建物群を見やる。巨大なビルの前には訳の分からないアートとやたら大きな噴水、取り敢えず植わっているヤシの木。少しの違いはあるもののどれも同じだ。
「いたぞ!捕まえろ!

明らかに警察ではない格好の男たちがカジノの一つから飛び出してきた。
男たちはこちらへ向かって走ってくる。視線はサングラスに隠れて見えないために、僕を見ているように見えた。
しかし男たちは僕など見向きもせずにあっさりと通り過ぎると、カップルが消えていった方向に走っていった。
続けて男たちの罵声と女の叫び声がして、男たちが先ほどのカップルを引きずって戻ってきた。
「この詐欺師!」
「警察に突き出す前にたっぷりいたぶってやろうじゃないか」
口々にカップルを罵倒しながら男たちはカジノに入っていった。かなりの時間が経ってもカップルは出てこなかった。

しばらく歩き続けると、背の高い青年と下腹部の膨れた若い女性が近付いてきた。女性はベビーカーを押していた。
夫婦らしい。
「こんばんは。楽しんでいるかい?」
カジュアルなジャケットを着た青年が訊いて、
「あんまり楽しくないのかしら?」
答える前にマタニティードレスを着た若い女性が僕の代わりに言った。
「なにがつまらないんだい?欲しい物はなんでも手に入るというのに」
「お金も」
「富も」
「権力も」
「女も」
「子供も──ってそれどういう意味よ」
「い、いや…。それは兎も角!なんでも手に入るこの街で、お前は何を手に入れてないってんだ?」
一気にまくし立てる若い夫婦。一瞬険悪な雰囲気になりかけたが、青年がやんわりと流して再び僕の顔をのぞき込む。
先ほどのようになるのはごめんだったので今回は素早く口を開いた。
「分かりません」
「分からない?」
男がきょとんとして聞き返してきたので僕は頷いた。
「何が欲しいのかも、何が要らないのかも分かりません」
「私にもあったわ。そーゆーの」
若い女性が膨れたお腹をさすりながら唐突に言った。
「何が必要で何が不要なのか。得てみれば不要なものばかりで、全部偽物のようだった。そう見える場所なのよ、この街は」
何かを懐かしむように微笑んで女性が言う。
「でも今は分かるわ」
「ふぅん。で、何が分かったのかい?」
若い妻はにっこりと笑った。
「私が必要だったのは家族。絆よ。本当はみんな寂しがり屋なのに、自分を偽ることでしか認めてもらえない。けれど家族は偽りの必要ない、帰るべき場所なんだもの」
女性は僕を見て、幸せそうにお腹をさすった。
「二人目なの。女の子よ。あなたも好きな人と家族になりなさい。足りない物が満たされるはずよ」
言い終わると若い夫婦は再び雑踏に消えていった。
その場に残された僕は夫婦が消えていった方向を見つめていた。
と、
突然タイヤの擦れる嫌な音が響いた。パパーッとクラクションが鳴り響き、女性の悲鳴と奇妙な不協和音を奏でる。
そして、ドカシャ!と2つの物が衝突する音が響いた。
「誰か!救急車を呼んでくれ!」
「誰か助けて!」
「クソ、誰か!」
鼻をつんざく鉄の臭いがした。通行人の輪が幾重にもなっていく。しかし彼らの表情はどれもこのハプニングに興味津々で、面白そうに笑っていた。
「子供が!子供を助けて!早く、早くぅぅぅあああああ!!」
女性の狂ったような叫び声に周囲は憐れみの視線を向けた。向けただけだった。

「もし、そこのお人」
三度歩き出すと薄汚い格好の老人が近付いてきた。老人の腰は酷く折れ曲がり、髪と髭は黒と灰が斑になっている。
「哀れな老人に恵んではくれんかね」
渡すものを持っていないので丁重に断ると、老人は落ち窪んだ眼をギョロつかせてしがみついてきた。
「そんなはずはないだろう!この街にいるのは、与える者か奪われた者かどちらかだ!お前みたいな若いもんが何も持っていないはずはない」
ガクガクと揺さぶられるが、本当に持っている物が無いのだから仕方がない。
「本当に何もあげられないんです。僕には何もないから」
老人はようやくそれが真実だと理解したらしい。それでも数秒は信じられないと言ったような表情をして、その場に膝をついた。
「そんな…そんな」
両手で顔を覆い、その場に伏す老人。
「運に見放されてカジノで大枚スられ、妻も死に、子供もついに出来なかった!儂にはもう明日食べるパンの一欠片も無いというのに…」
低い嗚咽が響く。
掛ける言葉も見つからずにいると、老人がガバッと起き上がった。老人の手には小さな果物ナイフが握られている。ナイフを持つ手は、恐怖か、或いは空腹かにより激しく震えていた。
「出さないというなら奪うまでだ!」
老人がナイフを振り上げた。刃がネオンの光を受けてカラフルに光る。
「許せ、若いの!」

パンッパンパンッ!

乾燥した破裂音が立て続けに聞こえた。硝煙の臭いがする。
鉄の弾に穿たれて身体に穴を開けた老人が、穴から血を吹き出して倒れた。
急所を僅かに外れているのか、撃たれた老人は苦しそうにのたうち回っている。起き上がろうとしているようだが、もぞもぞと這うばかりで一向に起き上がれない。ヒュウヒュウと喉から血の混じった泡と一緒に掠れた音が漏れている。
「…………」
見ると一人の老婆古めかしい拳銃を握り締めて立ち尽くしていた。老婆は老人よりも一回りほど老いているようだ。
その皺だらけの手に黒光りする拳銃を持ったまま、緩慢な動作で血溜まりを広げる老人の元にすり寄った。
「おぅ…」
やはりぼろ布を纏った老婆は老人の頬を撫でると、僕へ向き直った。そしてゆっくりと頭を下げた。
「息子が申し訳ありませんでした。どうかこの婆に免じてお許し下さいませ」
老婆はこちらの返事を待たずにきびすを返すと、老人の骸を引きずって路地に消えた。

「『眠らない街』とはよく言ったもんだよな」
「そーね。毎日馬鹿みたいにお祭り騒ぎ、脳みそとろけそう」
誰かと誰かの話し声が近づいて遠ざかった。誰もが笑顔で、夜のアスファルトを踏み鳴らして歩いていく。夜ではあったがネオンがひっきりなしに点滅しているので通りはまるで昼間のような明るさだった。
実は僕はこの場所に来るつもりではなかった。正直、何処に向かっているわけではないけれど、この場所を蔑視していたのは確かだった。
僕はそれを思い出し、この街を出るために歩き出す。








きらびやかなネオン。
鳴り止まない音楽。
誰もが一度は夢見、そして夢破れていく、蜃気楼の街。
運を神と崇め、愛し、縋った者たちが運に見放されて苦しみながらも、誰もが自分の運を信じるが故に誰一人としてこの街から出ていこうとしない。

其処は、まるで、



色彩ラスベガス



END