「お待たせ、栗平さん」
栗平さんはブルル、と鼻息で返事をした。口の脇から食べていた藁が飛び散る。
栗平さんとは私の飼っている馬のことだ。シャイヤー種の大型馬。性格は、おとなしくていい子。馬はみんないい子だけど。
因みに栗平さんというのは、栗平さんをくれた人の名前だ。農業の挽き馬として使われていたが、彼の祖先は思い甲冑を着けた騎士を背に乗せて戦場を駆け回る軍馬だという。
今は私がこうして学校に通うための足になってくれている。
鼻の頭を掻いてやって、私は大きなその背に乗る。
これ、この一言だけだとひらりと軽やかに跨るのを想像するかもしれない。しかし栗平さんはとても大きいのだ。とてもじゃないが『ひらり』は無理である。せめて、成人男性が『どっこいしょ』というくらいだ。
私は背が小さいほうなので、まず、柵に足をかける。次に栗平さんのタテガミに捕まって鐙に片足をかける。柵を蹴って一気に足を回してへばりつく様にしがみ付いて、体勢を立て直してようやく乗馬完了。
栗平さんは私が奮闘する間ずっと藁を食べている。色々気にしない性質なのだ。
「おう。二コラ!」
ようやく手綱を取ったところで、用務員のおいさんが待機室から顔を出した。
農耕が盛んなこの町で馬を使って登校する生徒は少なくない。おいさんは生徒が授業を受けている間馬たちの世話をするのだ。
よぼよぼのおじいさんで、ヒゲも鼻毛も真っ白。いつもつなぎを着ている。名前は知らない。通称「おいさん」。
「おいさん。お疲れさま」
「おうおう。いいってことよ」かっかっか、とおいさんが笑った。「二コラ、アンタん所の居候、さっきけえってきたってよォ」
「コルティが?まだ一ヶ月も経ってないのに…」
「さぁなぁ。早く仕事が片付いたんじゃあないのかい」
早く行ってやんなよ、とおいさんは言った。
私は頷く。栗平さんは足が遅いけれど、それでも精一杯急いでくれるのだ。
「ありがとう。また明日ね」
しっかり遊べよ、とおいさんが言った。

   

 

 

この町は今も昔も農耕で生きている。
見渡す限りの畑は、都会に輸出されるためのものだ。
そんなのは一部の豪農のものであり、大半の人々は殆ど自給自足に近い暮らしをしている。月に一度行われるファーマーズマーケットの時に少し、お金のやり取りをするだけ。
私はぬかるんだ畦道を走る。
「うおっとぉ」
栗平さんが柵を飛び越えて、放牧地帯へ。急いでいる私の気持ちを察して近道をするつもりらしい。
栗平さんより小さくてスリムな馬たちが一斉にこちらを見た。ああ、栗平さんも私と一緒だ、と苦笑した。栗平さんは私と違ってそういう事を気にしない。
日は少し天頂を過ぎた頃。上空は風が強いのか、雲が千切れていく。
牧草地帯を抜けて、民家の脇を通り過ぎる。
ああ、今日もいい天気だ。
町の外れの小さな家が私の住むところだ。家と納屋と、ちょっとの畑と鶏小屋。私のお祖父さんが住んでいた。今はもういないけど。
私とコルティが住んでいる。コルティはお祖父さんの営んでいた『運び屋』を継いで、殆ど家を空けている。
何を運んでいるのか、という質問には直ぐに返答できない。というのも、運び屋は頼まれればありとあらゆるものを運ぶし、それは出征した息子への手紙だったり、暗殺された死体だったりする。隣の町の病院へお婆ちゃんを運ぶ、という仕事すらやるのだ。
ガキュン!
栗平さんを納屋に繋ぎ、家のドアノブに手を掛けたところで銃声。
「……おぶっ」
ドアをぶち抜き、私の頬を掠めて飛んでいった鉛玉を呆然と見送っていると、今度はドアが反対側の頬を殴打した。
「ごめーん!ニコラ、怪我してない?」
「たった今ホッペが怪我しました…」
「あ、ごめん…」
この、足と手の長い、そのくせ顔は小さい、まるでモデルのような超美体型がコルティ。
オレンジのタンクトップにミリタリーパンツ。そしてショルダーホルスター。手に持っているのとは別のオートマチックピストルがきっちりしまってある。
「危ないよ。急に撃つなんて。どうしたの?」
硝煙がくる銃口を横目に問えば、彼女は困ったように柳眉を寄せて視線を泳がせた。
「まさかまた…なんかやった?」
疑いの眼差し。
「…………ごめーーーーん!!」
しばらくして折れたコルティが泣きながら抱きついてきた。
実は、このようなことは結構しょっちゅうで、コルティが殺気ビンビンで誰彼構わず発砲するということは、仕事で何かトラブルが遭った時に他ならない。(つまり、しょっちゅうトラブルに遭っているというわけ)
コルティは見た目と中身が全く異なる存在だ。黙っていれば、雑誌の撮影か何かかと勘違いされるくらいに美人なのに、中身はまるきり子供。子供っぽい、ではない。子供としか言いようが無い。
すぐ泣くすぐ寝るよく食べよく笑う。
喜怒哀楽がはっきりとしていて、シャボン玉のように常にそれらがぐるぐる回っているのだ。
それでも、仕事となればしっかりするらしく、こういった小さな(小さくも無い場合の方が多いのだけれど)トラブルを起こす以外に、苦情らしい苦情も来たことは無く、どちらかと言えば評判は上々。寧ろお祖父さんの頃より繁盛しているかもしれない。
よしよしと頭を撫でながら私はコルティに中に入るように言った。
「とにかくお帰りなさい。何があったかはご飯食べながら聞くから」
 これではどっちが年上か分からない。