「マック食いたい」
俺はバーカウンターに突っ伏しながら呟いた。
「マッカ食いたい?出してあげましょうか」
ママが面白そうに首を傾げる。
「『マック』です。ジャンクフードです。ふるりれろーい・・・はぁあ」
ボルテクス界には面白いことに、娯楽施設ばかりが立ち並んでいる。
例えば?このバー、クラブ、あとはゲームセンター(と言ってもゲーム自体は一種類だけだけど)。等等。状況を黙殺さえすれば、遊ぶところは結構あるのだと思う。
まあ、マガツヒで生きる悪魔にとって食事をする場所は必要不可欠なものではない。それは自分自身がとてもよく知っている事実だ。
高校は買い食いを禁止していた。だから、俺と勇と千晶はよく遠回りをして帰った。通学路の途中にもコンビニはあったけれど、先生と鉢合わせするのが怖くてわざわざ遠めのコンビニに足を伸ばしたんだ。
夏はアイスを、冬は肉まんを。高が百円程度のお菓子を買うのが精一杯なのが学生と言う生き物。(千晶は除く)
テスト前にはマックでシェークとポテトで何時間も粘った。結局勇が飽きて駄弁り始めて勉強しなくなるんだよな。
「俺、創世したら絶対マック作るッす」
「あら、期待してるわ。そのジャンクフードとやらを」
「ピクシーとか超好きそう。・・・あ、そういえばジャンクフードと言ったら、まず始めに思い出すような国からいらっしゃっている方が一人いるなあ」






『マック…ああ、マクd』
皆まで言うなっつーの。KYめ」
『あ?』
『なんでもないっす』
『いやお前、絶対今何か俺を中傷するようなことを言っただろ』
「言ってねえっつってんだろ」
『おいコラ日本語わかんねえだろ!英語で言え、英語で!!』
商売道具を丁寧に分解掃除する手はとても早い。流れが身体に染み付いているのだという。そいうのって何か憧れる。
俺は所謂帰国子女という奴で、英語だけは人一倍出来が良かった。そんなわけで、俺はこの悪魔狩人さんとお話しするのに事欠かないスキルを持っている。
この人は、日本に出張に来たのにもかかわらず、全く日本語の知識が無かった。なんたって、日本語で知っている単語は簡単な挨拶と『スシ』『ゲイシャ』、あとは『トウフ』と『ショウユ』くらいなもんで。日常の生活はおおよそ不可能。
最初に会ったのが俺じゃなかったらこの人、どうなっていたのかしれない。
『良くパスポート発行したなあ』
『俺の知り合いにその手の専門家がいるんだよ』
『ふううううううん』
それでもこの人は俺が知らない世界の人間だった。
同じ国にいてもまるで映画のような世界で生きている。
この国はもう駄目かもしれないなあ。あ、もう駄目になったんだっけ。世界ごと。
『それで何だ。フレンチフライが恋しくなったのか』
『俺は本来BK派なんスよ。でもこっちにはそんなんなくて。マックはマックで好きだけど』
『マックねえ…ソフトクリームが美味いよな』
カチャ、とマガジンを突っ込みながらダンテが呟いた。
「えっ?」
ソフトクリームって言った?今。
『あ?』
聞き返したことに対して聞き返して来た本人は全く気がついてないようで。
『今なんて言った?』
『ソフトクリームが、美味い、と言ったんだ

えええええええええ。

俺があまりにも解せないのを、向こうは言葉が通じてないと勘違いしているのかもしれない。一語一語間で含むようにリピートしてくる。
『アイス。ゲダンク。分かるか?』
「マジ想像できねー」
その一言に尽きる。当然通じないので向こうはそれはもう不愉快な顔をした。
『ダンテさんって結構アイスとか食べるんスか。それってアレですか。スラングでビールだってことッスか。そうだと言ってくれマジアンタのそのなりでその趣味はちょっとマジしんどいって言うかないない有り得ない』
『お前がいつも日本語で何を言ってるか、漸く分かったぜこの偽善野郎!』
途中から本人がいることをうっかり忘れて本性をむき出しにしてしまった俺はついに悪魔も泣き出す男の拳骨を食らった。
『アイス食って何が悪いってんだ』
『アイス以前に好みとかなさそうだと思った。そういう楽しみとか美味しいとか好きとか、そういうの全般が嫌いそうだなってさ』
そういう言及を避けているように思えたから。人生を楽しんでいるように見えるが、実は全く違うところに立っているように見える。これは錯覚とかそういう類のものではないという確信は根拠もなくあった。

『あのなあ…俺を何だと思ってんだ、お前は』
ダンテ。悪魔狩人。日本人ではない。好戦的且つ獰猛。
俺が知っているこの人のパーソナリティってこれくらい。何が好きとか、悪魔狩人の生活なのかとか、どうやって生きてきて、どういう道を歩んでいくのかとか、彼女はいるのかとか。本当は結構知りたいことが沢山有るんだ。
俺の周りで唯一友好関係にある人間(半分)であるのには違いないし、やっぱり同じ言語で語り合えることにも、年下の自分も一人の人間として見てくれるところにも、感謝していないといえばそれは全くの嘘になる。
でも、所謂裏社会に身を置く彼のことをどこまで興味本位で訊ねていいのか、俺はそれが心配なんだ。
それでいらない確執を作りたくないし、もっと言えば押し殺しているであろう色々なことを、傷を引っ掻き回したくないんだ。誰だって触れて欲しくない過去はある。俺だって千晶に泣かされた数知れない思い出は触れて欲しくない。でも、この人のそれは、果たして俺と同じ程度のものなのだろうか?そんな、『恥ずかしい』程度で済む思い出しかないのなら、
『…強面の美形で頼れる部下ッスかね』
そんなんチャラチャラ訊けるはず無いじゃないッスか。
『お前って持ち上げて中途半端なところで落とすよな』
冗談です。…要は、地雷を踏みたくないだけ。そういうことだよ。触れられたくないことを触れるつもりは無い。でもそれが何か分からない。この国の人間はセンサイでオクユカシイ生き物なんだぜ。知っとけそのくらい』
当の悪魔狩人は興味なさげにふうんと言った。

『お前らって誰一人のことも分からないままダチとつるんでるんだな』

そう言われてちらりと浮かぶ顔、二つ。
あの暑い夏の日にパピコを分け合ったアイツと、いつも自分は殆ど食べないくせにLサイズのフライドポテトを買ってくれたアイツ。
そういうこと、だったのかなあ。でも今の俺の言い分だと、そういうことになるんだ。
『そういうの、後で後悔するんじゃねーの』
『うん。絶賛後悔中。俺あいつらのこと何にも分かってなかった』
楽しかった思い出も嘘の上にある不安定なものでしかないのかと。
俺はずっと考えている。
「ドッコイショウイチ!」
悪魔狩人が徐に立ち上がった。レッグホルスターに商売道具を入れる。そして首を回しながら腰を鳴らした。動きだけはおっさんくせえな、と呆れる。ついでに、自分の親父が言ったら他人の振りをしたくなるような寒い親父ギャグ。
『何処で覚えてきたんだ…そんなん。アンタ、一体何歳なんだ?』
別に訊いたわけじゃないんだ。ほんと、ただ呆れの言葉と一緒に自然と疑問系になっただけの言葉。ダンテさんはにっと笑ってその問に答えた。

って。えええええええええええええええええええええええええええ!!??

「マジでか!」
悪魔ってすごい。てかヤバイ。俺、ずっと兄貴と思って接してきたけどさ。
『俺の叔父さんとタメじゃねーかテメー!詐欺だ!』
『そう、少年。俺はお前なんかよりずっと人生経験が豊富なオトナなんだ。分かったらもっと敬うんだな』
『嘘だ。オトナってところが絶対嘘だ』
そして無意味なポージングとか平気でするところが絶対大人じゃない。
『いーの。気持ちはタメのつもりだから。そうやって自然にしてきたんじゃないのか?お前らがどういうダチだったのか俺は知らないが、全部が全部嘘なわけでもなし、聞きたいこと聞いて言いたいこと言ってきたんだろ。それでいいじゃねえか。分かんなくなったんなら、聞きに行けばいいんじゃねーのかな。その気になれば行けるんだから、』
そこまで言って急に口を噤んだこの人の顔は眉一つ動かなかった。
ただ、唐突に掻き消えたその言葉の続きを、一番触られたくない傷を、俺はようやく知った気がする。  

少しの沈黙。破ったのは、俺。


『ママにアイス作ってもらいましょうか』
『いいね、言うだけ言ってみようぜ』



俺たちは遠回りの必要ない道を連れ立って歩き出す。
好きなフレーバーの話とか、そんな下らないことを駄弁りながら。




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人修羅くん。
帰国子女という設定。ダンテには若者敬語調英語、日本語で暴言状態。時々ノリで反転して焦ったりする超普通の若者。
アメリカのマックのソフトクリームは本当に美味しいのです。