思ったよりも彼は本というものを読むのだ。

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日頃、この店の主は雑誌しか読まない。もっと詳しく言うと、女の人が裸に近い格好だったりとか、そんなものだ。けれど彼は一度も自分にその状況を要求したことは無かったし、自分も彼がどんなものを読んでいようと勝手だと思っている。なまじ母親に似ているせいか、トリッシュはダンテの恋愛対象には成り得ないようだった。
今日はダンテにしては珍しく、昼間から出かけてしまって今はいない。何処に行くのと聞いたらとても不機嫌そうに「エンツォんとこ」と呻いた。金でも借りていたのかもしれない。
マレット島の一件以来、取り敢えずダンテのところに身を寄せている形ではいたものの、トリッシュは彼の書斎を覗いたのは始めての事だ。
それは自分ではないオリジナルが、つまり彼の母親の何かが残っているのではないかという自分でもよく分からない恐れだったり、ただ単にプライバシーというものを尊重しただけであったりと、わりと複雑な思いで今まで近づかなかったのだ。が。
興味があったわけではない。ただ、彼女の洗濯物の中に彼の下着が紛れ込んでいたのである。憤慨はしないものの、どういうことだとは思う。
そんなこともあって、彼女はついに未知の空間に足を踏み入れたのだ。
そしてそこはまさしく異界であった。
本、本、本。ずらりと並んだ本棚には、やはり所狭しと押し込められている本。
しかもそれは彼が日頃愛読しているグラビア誌などではなく(見当たらない辺り、さしずめベッドの下にでもあるに違いない)、黒皮の古めかしい本だったり、装飾からして怪しげな図鑑だったりする。そして、どの本も読みつくされたように草臥れていて、紙は激しく劣化し、付箋がコレでもかというほど挟み込まれていた。
トリッシュはダンテの下着を適当にベッドの上に放ると、机の上に投げ出されていた一冊を手に取った。
そして本を開いて絶句した。
適当に付箋が付いていたページをめくる。どうやら悪魔に関する記述のようだが、トリッシュが驚いたのはそれよりも、書き込まれたメモの量だった。
下手をすれば本文よりも多いかもしれない。乱暴に挟まれた紙切れには追記したものと思われる。
本人以外には読めるのだろうか、というほどの汚い走り書きに目を落とすと、それは昨日狩った悪魔についての細かな考察で。弱点、属性、癖、攻撃パターン、その他もろもろが書きなぐられていた。
普段、デビルハンティング中の彼は常に凶悪な笑みを浮かべている。且つ、常人離れした動きで悪魔を屠っていく様は、戦闘というよりは舞踏に近いものがあるように見える。
とにかく楽しく殺すことだけを第一に考えているような瞳の奥は、自分が考えているよりもずっと冷静だったのだ。
トリッシュは古文書を元の位置に戻して、振り返る。
本の、山。そうとしか形容が出来ない。
「…これを全部、覚えてる…?」
覚えて、記憶して、足りないところを書き足しているのだろうか?
トリッシュの背筋に冷たいものが走った。それは悪魔として、昔の話とはいえ狩られる側の立場として、底知れない彼の執念だとか、それに対する執着を窺い知ってしまったという『恐怖』からであるということに彼女自身未だ気づいていない。
彼自身は恐らくここにある全てのものを自分の知識としてちゃんと頭に入れているに違いない。それでもわざわざもう一度本を引っ張り出して、注釈を加えてなどいるのかというと。

『俺の息子に―――』か)
魔帝にとどめを刺す時、彼の言った言葉。

『俺の息子によろしくな』

彼の息子。子孫。
伝えていくもの、そういうことなのだろうか。
トリッシュが思考の底に沈んでいるちょうどその時、階下の事務所から鈍い音が聞こえた。
ゴガン!!
続けてなにやら壊れる音。店の主人が帰ってきたらしい。それも、不機嫌度数が大幅に増加した状態で。
「―――!―――?」
自分を呼ぶ声がして、慌てて返事をすると昼飯を食いに行こう!とお誘いがかかった。勿論拒否する理由は無いので肯定の意思を告げる。ついでに、もうちょっと待って、とも叫んだ。
トリッシュは机の上に散乱していたメモ用紙の一枚を取り出し、さらさらと何やらメモすると、本棚の一番上の列にねじ込んだ。棚は、何年も触られていないのか埃がうっすらと掛かっている。
まだか?という声にトリッシュは応えて部屋を後にする。
事務所で二言三言会話が聞こえ、そして遠ざかる足音が聞こえた。
誰もいなくなった書斎に、ひゅうと開け放たれた窓から風が吹き込む。
悪戯な風は、折角彼女がねじ込んだメモ書きを攫い、床に落とす。




『あなたのお父さんはマザコン!!』





帰宅後、便利屋Devil May Cryに人の声とは思えないなんとも珍妙な叫びがこだましたという。