If I had a wing, I will go to meet you very first.

Though there is a foot to me, I cannot think this place to be not separated by water with the future.



一際大きな風だった。運が悪かった。
足を掬われて伸ばした手は思い切り空を掻いた。掠りもしない。
気がついたらもうどうしようもないくらいに巻き上げられていて、人間と言うのはこうも簡単に空が飛べるのだな、と場違いな事を考えた。
どの道この高さからでは助かるまい。
もみくちゃになりながら吹き飛ばされて、風が自分を通り越してしまったのが分かる。
一瞬の無重力の中でレディは月を見た。月は雲に隠れている。
あとはもう、堕ちるだけ。
死ぬ事は怖くないのに、このような死に方なのが不本意だった。
身体が落下に最良の体制をとる。レディは頭上の大地を見て、

なんだかやっぱり会いたいと思った。

「…馬鹿だわ」
分かったわよ認めるわよもうどうせ死ぬんだし本当にもうあいつがあんなこと言うから馬鹿なんか文句あるわけ死にたくないだって会いたい会いたい会いたい会いたい!
胸の中というよりは脳の中が拙い言葉で占拠される。その中の一言が落下の速度と比例して増大して、いつしかレディはその名を呼んでいた。



その日、不思議なものを見たという証言が警察に多数寄せられた。
街で一番高いビルから女性が一人落ちたのだという。
あまりに高いから最初は誰も気がつかなかったが、一人の夫人がそれを目撃し悲鳴を上げたためその場にいた人はみな空を仰いで息を呑んだのだそうだ。
しかし彼女が地にぶつかるまであと数十メートルしかないといった所で、一番初めに悲鳴を上げた婦人の後ろ、子供の目を覆った若い母親の前から人が飛んだのだと言う。
人を解脱した跳躍で落下する女性を抱きとめた彼は、放物運動に則ってビルの間に消えうせたと言う。
人々は口を揃えて言った。「青いコートの、銀髪の若者だった」と。
誰かが通報したのか数分後にのこのこやってきた警察の事情聴取は酷く難航した。
あまりにも珍妙な事しか言わない市民に頭を抱えるが、しかしながら目撃者たちは情報を共有しており話には矛盾も無い。不可解な通報を受けた哀れな警官たちは、上司に怒られるのを覚悟しつつ、できるだけそのまま報告書を提出した。
無論、減給処分を食らったのは言うまでも無い。



唐突に目が覚めた。
がば、と身を起こせば一面に薄桃の花弁が広がっている。天国か、と一瞬考えてからレディはその考えを打ち消した。自分が天国などに行けるはずが無い。
そしてすぐにここが此岸であることに気付いた。
割れた天井硝子。月が雲から顔を出している。
背中が痛い。けれど、何処の骨も折れてはいない。
ここは、植物園だ。
でも、何故。
そもそも自分は草の上に寝ていたという感覚がない。これは、そう、あれだ。
人間の、
「うひゃあお!」
人間の声帯に有るまじき声を出して、飛び退けば、そこには人間でもない悪魔でもない男がいた。この状況で驚かない奴は、悪魔に違いない。
「…すごい声が出たな」
「う、うるさい」
どこかで何かが決定的に違う気がするが、とにかく自分の下敷きになっている男はひどく場違いな事を言った。
「なん、なんな・・・」
なんでアンタがここにいるのよ、となんであんたが生きてるのよ、となんで都合よく助けたのよ、が拙い具合にミックスされて、結局なんだか分からない言葉が出てきた。
バージル。彼の名前だ。死んだと聞かされた。実の弟が言うのだから間違いは無かったのだろう。少なくともその時は。
当のバージルはのん気に身をの起こして、貴様は少し痩せるべきだ。筋肉の方が多いのが唯一の救いだが。などと非常に甲斐性の無いコメントを宣った。
「ふむ、怪我は無いようだな。それに免じて三つまで質問を許してやろう」
落下の衝撃で肩を痛めたのか、バージルは右肩を抑えている。
なのにどこか偉そうだ。
レディは未だ混乱している頭をクールダウンさせるために一度目を閉じた。
深呼吸。
もう一度目を開いた。
夢ではない。バージルは肩に手をやるのをやめている。
「私が死んだのか、それともアンタが生きていたのか、一体どっち?」
「オレが生きていた、という方だ」
「今まで何処にいた?」
「それは何時から考えてだ」
「ダンテが死んだって思った日から、よ」
「それを説明するのには時間がかかるな。しかしこちら側に帰ってきたのは一週間前だ」
なにが『あんまりじゃじゃ馬だと来るもんも来ないぜ』だ。悪魔。
レディは全身の力が霧散するのが分かった。
「な、なんで助けた?」
呆けたような顔をしているに違いない。こいつが人間を助けるなんて、ましてやそれが自分だなんて、考えられない。不可能だ。…と思う。
バージルはそ知らぬ風、寧ろ何が謎なのかよくわかないという表情で言った。
「呼んだだろう、オレを」
「誰が」
「貴様が。…む。四つ目の質問を許した覚えは無い」
落下している時自棄っぱちで叫んだ、あれ。
聞かれギャアアア。
「死ね!」
「何故」
それが何を意味するのか、そこに思い至らないで欲しい。是非とも、永遠に。