「…すまない…。…いやそれは、……ちがう!」
ドアの向こうから聞こえてくる狼狽した声。
バージルは戸棚から三つのマグを出して、コーヒーメーカーから湯気が立ち上るのを眺めていた。

 

 

 

Vissi(歌に) d'arte(生き) ,vissi(恋に) d'amore(生き) .

 

 

 

「あ、チョコ発見。ってこないだ私が持ってきたハワイ土産じゃないのよ。これ」
バタム、と冷蔵庫の扉を閉めながらトリッシュがぼやいた。手にはトロピカルな包装の箱。ぱりぱりとフィルムをはがして封を開けて一つを口へ放り込んだ。
「うまー。食べる?」
「貰おう」
人数分のマグのうち黄色いものをトリッシュの前に置き、バージルが短い返事をした。
因みにバージルのマグは青、ダンテのマグは赤である。
「…そんなことは無い…。誤解だ、そんな…」
依然続く電話。使用しているのは無論、ダンテである。
「モメてるわねえ」
「そうだな」
ずず、と二人がコーヒーを啜る音が重なった。
「…何でか知ってる?」
「ダブルブッキング。ジャックポットファッキンジョブとデートが重なった」
「なるほど。それで、か」
「可愛い彼女は怒髪天を衝くほど怒り狂い、依頼を断れないチキンはひたすら頭を地に擦り付けているところだ」
皮肉たっぷりの説明にトリッシュが呆れたように言う。
「断ればいいのに」
バージルがチョコに手を伸ばした。
「デートを?」
「依頼を、よ」
「そうもいかないらしい。こちらのわがままが通らない相手というのもいるんだ」
ふーん。と興味無さそうな相槌を返したとろで、一際大きな声でダンテが待ってくれと叫んだ。
そして、急に沈黙。
「………」
「………」
フられたか」
フられたわね」
再びずず、と二人がコーヒーを啜る音が重なった。
ドガン!と扉が蹴破られる勢いで跳ね、開いた。事実蝶番が拉げたのか木製のドアは若干傾いでいるように見えた。
扉の向こうには凶悪な顔つきのダンテ。
さして驚いた様子も無い二人がじつとダンテを見つめている。その表情は呆れこそ混じっているが、無感情に見える。しかし、ダンテにはそこに憐憫の情を見出したのか一層不機嫌な顔で二人を睨み、唸るように言った。
「あんだよ。見せもんじゃねえぞ」
がるる、という擬音が似合う顔でダンテは威嚇するとシンクの横に置いてあったジンのビンを乱暴に掴んで階段へ消えた。
ごつごつ、と足音からも機嫌の悪さが滲み出ている。
ダンテの気配が完全に消えてからトリッシュがフン、と鼻を鳴らした。
「お金を貰っても八つ当たりなんてお断りよ!」
「馬鹿が」

 

   

「バージルは、ダンテの現彼女って見た事ある?」
「いや。仕事で知り合ったとは聞いたが」
「なんでかしら?」
「あまりそういう話はしないからな…恥ずかしいんじゃないのか」
「すごい若い子ったりして!」
「悪魔がらみだったりするかもな」
「きっとピンチを助けちゃったのね」
「しかも、何かクサイ台詞でも言ったんだろう。格好つけて」
「渋い感じでね」
「……」
「……ぶ。ばっかみたい!」
「ありそうだから怖い」

 

 

 

強ち間違ってもいない憶測で二人がで笑っている頃、ダンテは一人屋根へ昇っていた。
屋根というよりは入り口の無い屋上といった方が正しいかもしれない。給水タンクとテレビアンテナが設置されているだけで、あとは古くて軋む梯子が一つ、ダンテの部屋から伸びているだけだ。
ダンテの部屋からしか行くことができない屋上を、彼はよく使った。特に、気が滅入るようなことがあった時には一晩中そこから月を眺めていた。
「仕方ないだろう。仕事なんだ」
ダンテは乱暴にジンを煽ってそう呟いた。
長い便利屋生活で、覚えたことは沢山あるが、その中でも飛び切り危険な連中からの依頼。断りたくても断れない。断れば、それは死を意味するからだ。並大抵のことでは死なないダンテではあるが、それはあくまでも肉体的に、であり、人間の世界というのは死ななければどうでもいいというわけにはいかないのだ。何より、自分の周りの人々に多大な迷惑が掛かる。
強者は弱者の都合を考えない、というのもまたダンテを悩ませる原因の一つであった。こちらの都合は一切無視。わがまま放題言う連中にダンテは幾度と無く怒りを押し殺してきた。
「…ちくしょ」
ポケットから取り出した航空券。折角予約までしたのに、無駄になってしまった。
ダンテはしばらくの間それをじつと睨んでいたが、徐にそれをびりびりに破いて、捨てた。
風に乗って千切れた紙が舞い散る。
「…俺だってなあ、」

  会いたいんだ。馬鹿野郎。

そしてもう一口、ジン。

 

 

   

(あらら、しょ気ちゃってる。可愛いわ)
(馬鹿め、気がついてないとでも思っているのか)
野次馬二人、トリッシュとバージルは給水等の影からチケットを破り捨てる様を見ていた。
(青春ね。青いって言うほど若くは無いけれど)
(馬鹿は落ち込むといつも此処でああしてぐずっているんだ)
二人はバージルの部屋から雨どいを伝って上ってきたのである。
(どうする?バージル)
(どうするもこうするも無いだろう)
呆れたようにそう呟いて、バージルは給水タンクに背を預けた。
(私情を挟んでは生きていけない世界だと、そう言ったのはあいつ自身だ)
(そうね。それがまあ、正しいわよね。バージルだったらどうする?)
(……彼女なら、そういう事に文句はつけない)
(なるほど)
ニヤニヤとトリッシュが笑っていることで、バージルは自分が鎌を掛けられたのだと気がつき、慌てて顔を背けて赤面した。
トリッシュが悪戯っぽい笑みを浮かべている。
(まったく……うちの双子はちょっと見ない間に青春真っ盛りね)
(…お前こそさっさと誰か見つけろ)
フン、と面白く無さそうにバージル鼻を鳴らした。
続けてからかおうとトリッシュが口を開いたところで、バリンとビンが割れる音がした。
どうやら手元を狂わせてジンを落としてしまったらしい。
ダンテがDamnと叫んでいる。
そして突然、決して人の声帯では出し得ない声が辺りに轟いた。
(馬鹿が…本気か?)
(そうそう。早く行っちゃいなさいな。大事な彼女のところに!)

悪魔と化したダンテの、深く低く、恐ろしくも伸びやかな、まるで愛しい人を呼ぶかのような、切ない咆哮。
トリッシュはバージルを見る。
(……どうする?)
(貸し、一つということでなら)
OK!飛びっ切り大きな貸し一つね
バージルのため息。トリッシュのウインク。

ばさ、という羽ばたきがして、次の瞬間にはすでに、ダンテは雲の陰に消えた。

 

 

「さあさ、とびきり楽しいお仕事の時間よ!」
どっこいせ、とトリッシュが立ち上がった。もうダンテの影も見えない。
「出来の悪い弟を持つと面倒が多くて困る」
「いいじゃない。『歌に生き恋に生き』。スパーダがそうだったように、ね?」
「…フン」
バージルが風で煽られた髪を掻き上げた。

ばり、と二人の魔力が大気を振るわせる。

   

It's show time!!』

 

 威勢の良い声が重なった。

 

 

 

Vissi d'arte vissi d'amore 
歌に生き、愛に生き、

non feci man male ad anima viva ! 
ひとたびも生ける者に悪しきことなさざりき!

Con man furtiva quante miserie conobbi, aiutai .... 
ひそやかに、かずかずの貧しきに手をのべて、救いたり。

Sempre con fe sincera la mia preghiera 
まことなる信仰もちて、いつの日も、

ai santi tabenacoli sali. 
わが祈りをば祭壇にのぼせしに、

Sempre con fe sincera, diedi fiori agli altar, .... 
まことなる信仰もちて、いつの日も、

Nell'ora del dolore perche Signore, 
祭壇にみ花捧げしに、悲しみに苦しめるいま、

perche me ne rimuneri cosi? 
なにゆえに、などて、主よ、かく報いたもうや?

Diedi gioielli  della  Madonna  al  manto, 
宝石のかずかずを、マドンナのみころもに、

e diedi il canto agli astri, 
歌によりいやましに微笑かくる。

al ciel, che ne ridean piu belli .... 
み空なる星々に、その歌を捧げしに、悲しみに苦しめるいま、

Nell'ora del dolore perche Signore, 
なにゆえに、などて、主よ、

perche me ne rimuneri cosi? 
ああ、などて、かく報いたもうや?

 

 

―――『Vissi d'arte,vissi d'amore.』   




* * *


Io mi congratulo con Lei su 10,000 colpi!
壱万打おめでとうございます!
And it is very well from now on.
そして、今後トモ ヨロシク!