M
u
r
d e r Z.



鼻っ柱を思い切り蹴り上げる。
ゴキ、という感触。鈍すぎた音は耳に届く前に掻き消えた。
思い切り仰け反り突き出された顎やたら無意味に不快だったのでもう一発、ハイキック。
かみ合わせの悪かった犬歯が一本頬を掠めて飛んでいった。
この時点で骨折。
仰向けに倒れた男の胸にハイヒールを突き立て顔を覗き込む。無精髭が気に入らない。だから、ちょっとにじる様に体重を前へ。うう、だか、ああ、だか言う呻きが漏れた。
廃倉庫。この場所を選んだのはちゃんとした理由がある。
ここは麻薬の取引から人身売買まで幅広く取り扱っている不法グロスリーストア。誰が何をしようが関係ない。勿論、ここでこの観衆の中私がこの男を私刑で殺したって何をいわれる筋合いは無い。と、私は思っている。
先ほどまで熱心に闇取引をしていた人間たちの殆どは男。売り物は、女。
私がこの衆人環視の中わざわざ人一人殺しかけているのに理由が必要というのなら、これ以上の理由なんて無い。
脇腹を蹴りつけ、胸倉を掴み挙げて至近距離でラッシュ。肩の上を黒い血が放物線を描いて飛んでいく。
サングラス越しに微笑みかける。口角が上がらなかったがちゃんと彼と、彼等に伝わっただろうか。
ぐったりと凭れ掛かった男はもう半分は混濁した意識の下誰もが石化したように動かない。動かせない。
ズ、と彼が崩れ落ちる。
青く膨れ上がった瞼の下濁った瞳貴方に娘はいる?彼女は今何歳かしら?止め処無い疑問符檻の中の女子供たちはただ恐怖して身を寄せ合って泣いている。
これから彼女はどうやって生きていくと思う?
泣いているのは怖いから。誰が?私が?
一瞬の空白。ヒュウヒュウと肺から辛うじて生命維持活動をしている音がする。
誰も動けない。動かさない。
衆人環視を衆人環視する衆人よりも随分少ない、サングラス越しの殺気が小指一つ動かすのを許さない。
頭上の剥き出した鉄筋コンクリートから見下ろす闇に紛れた11の瞳。

「私たちがどういう連中かわかってるのよね?」
通告と確認と運試し。いろんな意味を含めた、短い疑問。

「私たちがどう事を嫌がっているのか、分かっているのよね?」
私ではない誰か、11の目のうちの誰かが聞く。新しい玩具を見つけたような、楽しそうな声音で。

「君たちには散々警告を発していたと思うがね?」
私ではない誰か、11の目のうちの誰かが謂う。老獪さがにじみ出るような、重低音で。

「ここが誰のものか、分かってんだよなぁ?」
私ではない誰か、11の目のうちの誰かが聞く。軽薄で頭の悪そうな声音で。

「どういう事をするのかも、全部了解している上でなさった事なのですね?」
私ではない誰か、11の目のうちの誰かが聞く。物静かで清楚な声音で。

「それでも、君たちは、触れてしまった」
「私たちの目に、留まってしまった」
私ではない誰か、11の目のうちの誰かたちが聞く。二つの良く似た声音で。


誰も動けない。動かさない。
何一つ、誰一人。
けれど誰の額にも玉の脂汗。どの人種でもどの言語圏でもどの思想を持ってどの神に祈ろうとも、正義のヒーローは現れない。
代わりにやってきたのが、私たちなのだから。


血飛沫に魅入られて断末魔に酔う、私たちが。







―――MurderZが。







『贖罪の舞踏を!』

降り注ぐ銃弾の雨。私の周りの全ての生き物が跳ねるように踊り狂う。悲鳴と怒号の中で私は、焼いた靴を履かされて死ぬまで踊らされた『シンデレラ』の義母や、バイオリンに合わせて茨の中で踊る『恋人ローランド』の義母を思い出した。
茨はこの止む事の無い鉛弾か。
(…多分、違う)
私は思う。
彼らが茨の中にいるのではない。
彼らは茨自身であり、その中で苦しみもがいているのは多分、私の方だ。
血と肉を欲し狂喜して人を殺め人生の糧とし物欲の対象にするでもなく余興としての死に堕落する私たちの方が。私たちは強い飢えの中で誰一人、お互いを救おうとはしない。

(嗚呼神よ。)

神がいるとすればの話であるが。そもそもこの世界は神を必要としなくなってから久しい。
誰に願うわけではない。しいて言えば、自分のために、小さく祈りを囁いた。