それはきっと、彼の最期の言葉。
「 」
思い出そうとするのに、私はあの頃のことをよく覚えていない。
オモイデトキオクト
ただいま、というだるそうな声で帰ってきたダンテはいつも自分がふんぞり返っている本皮の椅子に腰掛けた相棒を見て慌てて足音を消した。
相棒・トリッシュはしなだれかかるようにして、眼を閉じていた。それはつまり、眠っているというわけで。
時間は3時AM。そりゃ俺だって眠いさ。
『風邪引くぞ、ベットで寝ろよ』と声をかけようとしてやめた。彼女の整った眉が一瞬寄って、まぶたがゆっくりと開いたからだ。
「う、…ダンテ?」
どうやらうたた寝どころではなかったらしく、本気で眠そうにダンテを見てトリッシュは苦笑した。
「おかえり。ごめんさい、寝ちゃってたわ」
「いいさ。先にシャワー使えよ」
俺はこいつ等のメンテしてるからさ、と双子の銃を掲げて見せてにやりと笑った。
トリッシュは、未だ覚醒しないのかぼうっとした様子で頷くと、のろのろと席を立った。
*
(ヤな夢見たわね)
しゃああ、と降りかかる温水の中で自嘲気味に笑う。
未だ覚えてたのか、自分は。
頭の足りないトカゲの肩に乗って腕に怒りっぽい猫を抱いて、気ままに過ごしていた、あの頃のこと。
あれから私は人間の成長速度よりも速く大人になって、自分の存在理由を知った。
そしてそれを従順に行使して、…失敗して、今に至る。
しかし私はそのことについて微塵の後悔もない。結局、あの頃のように、気ままに生きているのだから。
青い男が落ちてきた。
私は数日間その男と行動を共にした。
そして彼の最期を見た。
偶然ではない。
彼を殺して彼を造り上げたのは、私の最もよく知る悪魔だったのだから。
キュ、とコックを捻って湯を止める。べったりと張り付いた艶やか金糸からポタポタと滴が垂れた。
「――――」
それはきっと、彼の最期の言葉。
思い出そうとするのに、私はあの頃のことをよく覚えていない。
思い出そうとするのに、私はあの時のことをよく覚えていない。
思い出そうとするのに、私はあの瞬間のことをよく覚えていない。
思い出そうと、するのだけれど。
*
「シャワー空いたわよ」
「サンキュ。調度今終わったところだ」
「そ。――――ねえ、」
バスローブのままスリッパも履かずペタペタと素足で歩いてダンテの前に仁王立つ。
メンテの後片付けをしていたダンテは、ぎょっとしてトリッシュを見上げた。彼女が怒っているのだと思ったのだ。
「私がうんと小さい時にね、」
「…うん?」
「私がまだ、生まれたばかりでアナタと会う5年位前にね。私、会ったことがあるの」
予想に反してダンテは誰に?と聞き返さなかった。
今のところは何の感想も無い、といったところだろう。続きを待っている。
ただ、こちらの顔がどうやらあまり機嫌のよくないときのそれに近いらしく、地雷を踏むまいと黙っているだけというのも理由の一つである。
「バージルに」
「それは、」
「ネロ=アンジェロでなくて、バージルに。」
ダンテの顔がぴしりと固まった。
「魔界の空から降ってくるのを見たわ。私は幼かったから、彼に近づいても大丈夫だった。何日かは、一緒に行動したの。…魔界を案内したのよ。私のお気に入りの丘だとか、近づいてはいけない場所だとか、色々ね」
ダンテは黙っている。
「何日か目に、私は彼に一匹の悪魔を紹介した。三つ目の、大きな、私の生みの親をね。
その時の私は自分の知らないところで複雑に絡み合っていた事情を知らなかった。だから、本当に思いつきで、彼をそいつのところに連れて行ったの」
そうだ。私は彼の最期を見たのだ。
伝えなくては。
彼に、伝えなくては。
あの一言を。
思い出さなくては。
「勿論争いになって、そりゃまったく予想してなかった展開に吃驚しながら動向を見守っていたわ。知っている通りに、彼は負けたのだけど。」
バージルは言ったはずなのだ。彼という50%の人間の部分が、断末魔のように、何かを言ったのだ。
私はその意味を知らなくて、分からなくて、忘れていた。
そうだ。思い出した。あの時、あの瞬間、彼が言ったのは。
「『ダンテ、』」
叫びでもなく、呻きでもなく、自然と口を突いて出た言葉は、それは名前だった。
「そう言ったわ。続けて何かを言おうとしたのか、名前を読んだだけなのかは分からないけれど」
『ダンテ』
それはきっと、彼の最期の言葉。
ダンテは何も言わなかった。
ただ、「アイツの墓も作らなきゃな」と言って、それきり真一文字に結ばれた口は開くことが無かった。
バスルームに消えた彼の背中は、飄々としていたが、私には泣いているように見えた。
***
託された者と、託された人と。