全体重をかけて閉めたスーツケースは、ひょんな事で爆発してしまいそうなほどだった。
鍵を二重にかけて、ベルトを締める。ガサガサした表面にははげかけた国旗のステッカー。
そしてパスポートとポケットティッシュ、手帳くらいしか入っていない殆ど空っぽの小さな革のトランク。

顔が映るほど磨き上げられた床にそれらを置いて、朝っぱらから忙しなく行き交う人たちを見回した。






Rise with a Sun.





バババババ、と波を砕く音とモーターの振動で船内が満たされている。
別に話していたって怒られないんだけれど、誰一人口を開くものはいなかった。
かと言って寝ている人もおらず、新聞を読む人、コーヒーを啜る人、ぼおっと窓の外を見ている人、何とも言えない居辛さはまだ慣れない。
私も窓の外を見る。穏やかな波が引き裂かれて白い紋を付けている。時々遠くでブイに止まるカモメがゆらゆらと水面で動く。
空は曇り。低いような高いような、よく分からない天気。
遠い遠い地で迎える、何度か目の朝。
港が近づいている。朝一のセスナがすぐ後ろで助走を始めた。
海面を滑って加速、エンジンが水しぶきを飛ばす。
ふわりと浮いた鉄の塊はあっと言う間に空を突き刺して振り向きもしないで飛んでゆく。
港のゲートが開いた。職員がブリッジを降ろす準備に入る。
船は速度を落として間合いを計り始めた。
私は結局読むことの無かったフリーペーパーを鞄にしまった。




免税のブランドショップはいつ見てもとても賑わっている。
ここまできてまだ買うものがあるのか、と感心せずにはいられないが、自分はその中に入るだけの余裕は無かった。金銭的にも、時間的にも。
よりによって一番遠い搭乗口、そこまでどれくらい歩くのか、分からないながら計算して歩く速度を上げた。
時間は十分にとってあるけれど、この長い長い廊下がそれを忘れさせる。コピー&ペーストしたように一定の間隔で設置された動く歩道を最大限に利用しながらゴディバの前を通り過ぎた時は流石に視線が流れた。
一度搭乗してしまえば、この空港に戻ってくるのは何ヶ月も、最悪何年も先になるだろう。
翼を使って海を越えて行く人々。色んな言語で色んなアナウンスがされているので頭がくらくらする。
4つ目の動く歩道を降りて、自分の歩く速度がとてつもなく遅い感じがして、股に力を込めた。
免税店街を通り過ぎ、大きな窓ガラスの連なる空間。あらゆる企業のあらゆる飛行機が見える。今まさに飛び立とうとしている飛行機の後ろには、それを待っているジャンボジェットがいる。既に搭乗が始まっている隣のドッグに接続された機体の窓から人の頭が動くのが見えた。下ではバゲージがベルトコンベアに乗せられて積まれていく、最後は人の手で、投げ入れられる様を見て、自分のスーツケースは投げた瞬間鍵が取れて中身が飛び散りませんようにと願う。
キィィン、というエンジンを吹かす音がして、離陸待ちだったジャンボが加速してゆくのを見送って、私は大きな窓ガラスから離れた。
思わず立ち止まって見入ってしまった光景は、多分朝から晩まで見ていても飽きないのだろうな、と思った。




いつまでたっても慣れないこの道のり。なんで、こんなにもドッグから出口が遠いのだろう。ステーションに降り立って私は競歩さながらの速度で歩く。待合室を抜けて鉄のブリッジを越え、角を曲がって二本目の鉄橋。ああ、これが無駄に長い。
漸く改札を通って建物内のカフェの横を過ぎ、これもまた無駄に高い天井の駅構内から飛び出した。
シーバスの発着駅の横では未だ開発途中の海岸が伸びていて、赤茶けた鉄筋が突き立っている様子はさながら廃墟のようだ。
理路整然と区画されたビル群を一度だけ顔を上げて臨んだ。
私の住む世界。
遠い所まで来てしまったことを、こうして毎日思い出すために。

 

 

 

 

中身がすっからかんのトランク一つ抱いたまま、私は自分の乗り込む機体を見た。
無駄に急いだお陰で相当の時間が余って、待合室の一番見晴らしの良い席を陣取ることにも成功した。嬉しくなんかない。
日が昇る前に家を出て、空港に着く頃には朝が来ていた。
最後の朝食、コンビニのシーチキンマヨおむすび105円。
何か無いかと探して迷って時間が無くなってお金もそんなに無いのに気づいて結局いつものケチご飯。
最後の米を電車に揺られながら10分で食べた。空しすぎる。
電車の中、ビルの隙間から見た日の出はやけに大きく、それでいて頼りなかった。
朝焼けなのに夕焼けのような、始まりのはずなのに終わりのような、なんだか寂しい気持ちになった。
朝が始まる。人々が、車が、電車が、忙しなく動き始めて今日が始まる。その「今日」は、生きるもの全員が教授しているにもかかわらず自分はそこにはいないのだ。私の知っている私の街の私の知らない今日が始まる。
日の出は併走する環状線に阻まれて見えなくなった。隣の電車で、腰掛けた人全員が口を開けて間の抜けた顔で寝ていた。





同じ時を生きるのに、向こうは夜で、着けば朝が来る。
日付変更線を越えて、海も越えて、タンカーも珊瑚礁も越えて、一体何処に行こうとしているのだろうか。
ある人はそれを無謀だといって、またある人は意味が無いと諌めた。
確かに、私たちは生きるために多くのものが必要な癖に、生活の領域はとても狭い。
最低、この狭い部屋一つ、この狭い町一つで事足りてしまう。
生まれて、学校へ行き、働いて、或いは結婚して子供を授かり、老いて死ぬ。
たったそれだけのことで、何処に行く必要もなくて、確かにそれは間違ってはいないということも分かっていた。
何も困らないこの世界から出て、遠い遠い此処ではない何処か、その町の狭い部屋で生きるのと、今此処にいるのと、やることは大して代わり映えがしない。
何処に行こうと、私たちの行動範囲は広くならない。
何処へ行こうと同じ事。
でも、だからと言って、此処に留まる理由だって同じくらい、無い。
「何処にも行かない」理由はまた「此処を離れなければならない」理由と似ていて、
何処でも一緒なら、何処でもいいのなら、せめて思うままにいたいと思う、たったそれだけの事で、それだけがそれらを隔てる越えることができない壁だと思っている。
私は自分が正しいことをしているとも思っていないし、同時に間違っているとも考えていない。
この地にいたい。
他の地を見たい。
他人にみだりに押し付けてはいけない価値観を、私たちはしょっちゅう忘れる。





『何処へ行こうと同じこと』
ならば、何処へでも行ってやろうじゃないか。


私はその答えを選んだだけのこと。




私は空を見上げる。
私は歩き出す。



Rise with a Sun.



全ては、自らの『選択』。









***
『何処へ行こうと〜』は確かさくらんで読んだ。
そして本当はRise with the Sunだと思う。敢えて、間違えた。