「うおっ」

突如響いた轟音に、俺の体は一瞬ベッドから跳ね上がった。
そして、寝ている間に縁の方へ動いていたらしく、運悪くも床に落下。
そこで強制覚醒を迫られることになった。
「・・・なんだ、今の」
打った腰が痛い。毛布があったとは言え不意打ちの一撃は痛い。ぼんやりと身体を起こして独り言が漏れた。勿論独り言なので答えは返ってこないのだが。時刻は、多分昼。というのも寝たのが明け方だから、俺が朝起きるワケが無い。だからまあ、煩くするなとは言えないのだが、・・・大の大人の俺がベッドから転げ落ちるほど騒ぐとは。
階下からは始めの轟音ではないにしろ、引っ切り無しに爆発音とドリルでも使っているかのような甲高い金属音が響いてくるために二度目は諦めることになりそうだった。
「またアイツ、なんか・・・くそ」
頭を掻き毟って今度はどんなことをしでかしたのか考えかけて止めた。全く無駄だからだ。俺が彼女の行動を予測して、当たった例は一度も無いのだからして。
ただ、

  ただ、またアイツの悪い病気が出たってことだけは、よく分かった。
・・・痛いほどに。

 

 

 

Seasonal division

 

 

 

驚いたことに、騒音の一切は事務所ではなくキッチンから響いてきていた。
街中の我が家にはガレージがない。元は家ではなく店舗として建てられていたものだからだ。一度派手に崩れ、一度派手に燃やされ(これは騒音の原因である誰かさんに!)その度に建て直しているから恐らく殆ど原型はなくなってしまったはずだ。だが、俺は建て直す度にガレージを作らなかった。まあ、要は、要らないからだ。バイクは店の前に止めておいたけど、これまた誰かさんにブン投げられて壊れてしまったし。
と言うわけで、日曜大工的なものは店の前か、そう大きなものでなければ事務所で行われる。
キッチンは使わない。
俺は一応料理をする。気が向けば、だが。駆け出しの食えない時期には主食のパンすら買えなくて小麦粉を水で練ったのにケチャップをかけてしのいだことも有る。それがきっかけで多少の料理スキルを身に付けたわけだが。
だからキッチンで工具を広げたり業務用のオイル塗れになったりするのは好まない。
好まないんだ。

  「おい何やっt」
扉を開けようとドアノブに手を伸ばしたところで勢いよく開いたドアに鼻っ柱を折られた。
「あらおはようダンテ早いのね」
全く悪びれる事無く騒音の主・トリッシュが朝の挨拶をかましてくるが、正直それどころではない。腰の次は鼻か。今日は厄日に違いない。
「どうしたの?・・・やだ鼻血。カッコ悪い」
「お前、本気で言ってるのか?」
何処までも悪意も他意も無く、ましてや故意などでは無いのだろうが、本気で何が?という答えが返ってきた。それでどうでも良くなった俺は何でも無いと言って垂れてきた血をティッシュで拭った。
「それよりもよ、ダンテ」
それよりもって言うな。
「今日はちょっとやってみたいことがあるからキッチンを借りてるわ。夕食は私が作りたいから、昼ごはんは外で食べるように!」
「夕飯を作るために昼飯を外で食えってか。意味分からん!今度は一体何をしてるんだお前。キッチンは、」
そういう事に使わないでくれ、と言いたかったのだがトリッシュは怒る俺をしっしっとうざったそうに扉から遠ざけた。せめて被害状況を把握しておきたかったのだが。最悪、キッチンと言うものがなくなってしまっているかもしれない。この女は、そういうことを平気でやる。そういう女だ。
「しょうがないの。何だかとっても手間がかかるのよ。でも期待してていいわよ?多分、死なないと思うから」
にっこりと笑ってウインク一つ残し消えた相棒を、俺はついに引き止められなかった。ついでに言うと、誰が、という疑問もオマケでついてきた。最悪だ、もう。
「頼むからこれ以上家を壊してくれるなよ」
これじゃ忠告と言うより嘆願だ。それも再び聞こえてきた物凄い破壊音(もう破壊音と断定する事に決めた)にかき消される。それを何処か遠くで聞きながら、俺は渋々小銭入れをポケットに入れた。

   

 

***

 

 

俺が正確な時刻を知ったのは、適当に目に留まったカフェに入ってオーダーを済ませた後だった。
やや昼を過ぎたこの時間帯では人は少なく、ましてや平日にカフェでダラダラしている奴は見回す限り俺しかいなかった。
運ばれてきたBLTサンドを齧りながらこれからの予定を考える。とは言っても特に思いつかなかったが。金も無いので何も出来ない、と言う方が正しい。
弾丸やグロスの類は月に一度大量に注文するのでわざわざ買いに行く必要がない。それも店のほうが直接卸しに来るから特に出向く必要は無い。メンテナンスは自分でやっているし。
食材にしたって、買って帰ったところでキッチンを占拠されている今の状況で冷蔵庫までたどり着く自信が無かった。
トリッシュの集中力は、子供のそれにとてもよく似ている気がする。集中、というより夢中なのだと思う。新しい玩具を買ってもらった子供が夢中で遊ぶように、俺が当たりの仕事でハイになるのと同じように、トリッシュは今キッチンで行っている『何か』に夢中なのだ。興味の幅を広げるのは良い事だと思う。しかし、それが何なのかしっかり把握しておかないと気が気じゃないのだ。今は子供を心配する親の気持ちがよく分かる。多少痛い目見るのは仕方ないとしても。これは過保護な考えだろうか。それとも、保護者のエゴだろうか。
(母さんは立派だったんだな)
半分悪魔の息子二人をたった10年とはいえ、ちゃんと育てていたわけだ。
兄はともかく俺はやんちゃだったから随分心配しただろうに。
あの日だって、俺は確かまた悪戯を企てていたと思う。止めるバージルを振り切って、今となっては何をしようとしていたのか思い出せないが、兎に角何かやって母さんを驚かせようとしていた。バージルは母さんに、言いつけに行って。それで、
「・・・莫迦だ」
俺は自嘲気味に笑ってデザートのストロベリーサンデーを掻き込んだ。
しかしこの界隈で一番美味しいはずのそれは、全く味がしなくて俺は余計に凹んだのだった。

 

  結局何処へいくでも、何をするでもなくフラフラと街をさ迷って、俺は性懲りも無くまたサンデーを買った。正確には、サンデーとミルフィーユを。俺は定番のを、もうひとつのは相棒に。
そうすると何だか後ろめたい物があるみたいでとてもミスチョイスだったような気がしてきたが買ってしまったのだから仕方ない。
そしてあの店はもう二度と行かないと心に決めた。
事務所の扉をくぐって、その前に仁王立っている相棒を見て一瞬心臓が跳ねた。
いや、決して、後ろめたいことなど無い。のに。
「おかえり」
「・・・ああ」
「随分遅かったのね」
トリッシュ越しに見た時計はピッタリ8時を指している。一時間でカフェを出た後、それでも四時間。何をしていたのかも思い出せないぐらいぼおっとフラフラしていたことになる。これはまずい。
「いや、ちょっと用事があって。これ、お土産」
ふうん。用事ねえ。
トリッシュの碧眼がゆっくりと下る。
「珍しい」
そこで今、初めて気がついた。
「悪い。遅くなって」
俺は何故ケーキなんて買ってご機嫌取りをしているのか。
「ふん。まあ良いわ。早く入って」
「ほんと、ごめんって」
俺がずっと考えていた家族の中に、彼女は含まれていなかった。
俺とバージル、母さん。
いつも彼女には家族だとかキョウダイだとか言っているくせに。
自分でそれが後ろめたくてばつが悪くて、それでこんなものを買ってきたんだろう。安易だとしか言いようが無い。
「はっ!」
「ぐはっ?!」
いつまでも中に入ろうとしない俺を見てこめかみを引きつらせたトリッシュ。嫌な予感がした瞬間に雷が脳天に落ちてきた。全身が爆砕しそうな衝撃に崩れ落ちる俺。
「て、てめ・・・」
「良いって言っているのに。変なダンテ。ゴミでも拾って食べたの?」
ちゃっかりケーキの箱を持ったトリッシュが言う。
俺は今までの考えを全て、一瞬で撤回する。
ゴミって何だ、ゴミって。

食うか馬鹿。

 

   

***

 

 

「さて。ダンテ」
「おう」
「今年は南南東よ」
「おう・・・何が?」
時々こいつの言葉に主語が無い。
そして俺とコイツの間に置かれた家で一番大きな皿の上に乗せられたものもまた、理解不能だった。
「つか、聞いていいか?」
「どうぞ」
「なんだこの・・・気持ち悪いものは」
一言で言うなら、それはスシなのだと思う。スシって言うのは、俺の中では、米の上に生魚の切り身が置いてある奴か、海苔できゅうりとか生魚とか卵とかを巻いてあるやつか、その二つしか知らない。これはどちらかと言えば、後者の類なのは分かる。だが太い。太いし、長い。
「普通はこれ、切ったりして食べるんじゃないのか?」
「えーゴホン。これはね、ダンテ」
ああ、その得意げな顔をやめろ。頭痛がする。
「これは、『エホウマキ』です!」
「エホ・・・何だって?」
トリッシュは、エホなんとかという物を持ち上げる。
「こう持って」
どん引きの俺の目の前で両手でしっかり持って口の前に持っていく。
「目を閉じて願い事を思い浮かべながら食べるの」
「南南東は?」
「そっちを向きながら食べるの。食べてる間は喋っちゃ駄目よ。オーケイ?」
いや全然オーケイじゃねえし。
「あのさ、聞きたいんだけど」
「どうぞ」
「昼から何やってた?」
「これを作ってたわ」
太巻き、おおよそ10本。1本でも相当なボリュームのそれが10本。
しかしツッコミたいのはそこじゃない。
俺は頬が引きつるのを我慢できなかった。
「じゃあ、ずっとやかましかったアレは?なんだったってんだ!」
「料理、だけど」
「寿司作るのになんでドリルが必要なんだ?お前はまさか!」
俺は堪らず立ち上がってキッチンの扉を蹴り上げる。そしてその惨状に思わず絶叫した。
「やっぱり!おま、・・・」
床は焦げて抜けてしまった。陶器とガラスの破片がそこらじゅうに散らばり、何かの毛と、骨らしきもの、魚の頭、緑色のゲル状のものなど、もうそこはどんな小説かも評論かも舞台監督も表現しがたいだろう有様だった。辛うじて原形をとどめているレンジを覗いてみれば内側に血と肉がベットリとこびりついていた。生き物を、入れたな。多分蛇だろう。蛇がレンジの中で爆砕している。
トリッシュがもう何もいえなくなった俺の肩をポンと叩いた。そしてにこやかな笑みを浮かべて、言った。
「ちょっとガッツあったわよ」
何が、とはもう訊けない。
彼女はほがらかに続けた。
「素材にこだわってみました!」
「あ、そう・・・」
それが精一杯だった。

 

 

 

その後?
勿論、食べたさ。その、エホウマキとやらを。半分、つまり、5本ずつ。…違うのか?
ご飯が酸っぱいのを通り越して辛かったり結局何の肉(魚?いや、ありえない)だか分からないものが入っていたり、恐らく本来の意図から大きく外れていたと思う。
オマケに南南東がどっちだか分からなくて大喧嘩になったりもした。厄日だ。
結局南からちょっと左を向いて食べた。もうこんなイベント厳密にする必要なんてないだろ?大体30センチもあるようなものを無言で目を瞑って食べるって言うのは一体どういうプレイなんだ。意味が分からない。
一人5本ずつ食べたから本当は五つ願い事が出来るのかもしれない。だが、俺はそんなに欲張りではない。
キッチンがちゃんと直りますように とか、修理費が高くなりませんように とか、出来れば近日中すぐに仕事が来ますように とか。このくらいの事を祈るほどみみっちい男でもない。(大体祈ったところでキッチンが元通りになるわけではない)
こういうものの心得として一つあるのが、『抽象的な事を願う』ということだ。叶ったのか叶わなかったのかよく分からないほうが、本当に叶った時に何となく得だと俺は思う。
だからまあ、一つだけ。
二本目からはかなりしんどかったせいで願い事どころではなかったのは、言っちゃいけないお約束だ。俺のスタイルに反するからな。

 

彼女が永遠に幸せでありますように

 

このくらい願ったってバチは当たらないよな。

 

 

End.

 

***

 

 

ダンテはきっとトリ姉さんの幸せを願った。
でもトリ姉さんはきっと五回分の自分の願い事をした。