『あらゆる生あるものの目指すところは死である。』 ―――フロイト




金色のナイトドレスを纏ったブルネット美女を突き飛ばして走り抜ける。その少し先にいたウェイターが驚いて飛び退きトレーの上から落ちたシャンパングラスが割れた。
私は走り続ける。
小さすぎるハンドバッグからハンドガンを取り出してバッグはそのまま投げ捨てる。一緒に取り出したマガジンを装着して安全装置を解除。トリガーに指をかけながらいつでも発砲できるように集中した。
扉が僅かに開いている部屋が目に留まった。
目標はあそこに入ったに違いない。その扉の横には既にチームの仲間が壁に張り付いている。彼の手にも、自分と同じ型の銃。グレイブルーの瞳が静かにこちらを見ている。私は微かに頷いた。
私は彼の反対側に身を寄せて改めて彼を見返した。
ドガン!と鈍い音を上げて乱暴にドアを蹴り開けると、ヒュル、と外気が自分の脇を通りすぎるのがわかった。空気を孕んだ上質なカーテンが翻って窓が空いている事を知る。
目標は慌てて振り返り私達を見る。酷く動転しているらしく、額から汗が流れ落ちていた。
グレイブルーの彼が胸ポケットから手帳を取り出せば目標は恐怖ですくみ上がる。脅えた彼が懐から取り出した密輸物らしき粗悪な銃をこちらに向けるが、そんなもの、慰みにもならない。私は彼が引金を引くより先に彼の脳髄に風穴を開ける自信があった。
ところが、俄かにカーテンが乱暴にはためき出し、低いエンジン音が事件の終りを知らせる。
窓から見えていた100万ドルの夜景が一瞬にして見えなくなり、闇からぬうっと突き出した鉄の筒が目標はの背中を押した。
コォォ……ォン、と無機質ないななきは彼女等が来たという事実。
そして彼の未来の一辺すらも握り潰されたという不条理な真実。
大きな機械の塊世界を律する女神の胸元に宿る二つの罪深き人影。
影は人間で、二人は女だった。片方は黒いドレスに場違いなワイングラスを持っている。そしてもう片方は幼顔に似合わないライフルを目標の心臓に押し付けたまま微動だにしない。
目標がアヒ、と情けない呟きを口から出した。それと同時か少し遅れてワイングラスを持った女が人差し指と中指をそろえて二本立てるを二本立てる。
女が指を倒した。
パスッというまた情けない音が響いた。
血を運ぶチューブ血管に空いた穴から盛大に吹き出る血液がビロードの絨毯を濡らしていく。


私は静かにハンドガンを下ろした。










がやがやと会場が騒がしいのは決して先ほどのパーティが続行されたわけではなく、ここに出入りしているのは成り上がりや金持ちなどではない。彼らの代わりにいるのは皆警察である。何故このような事件になったかは、残念ながら言えない。警察が事件の事をそうペラペラとバラしていいものではないのだから。今だって十分喋りすぎている方である。
私はテーブルに所狭しと並ぶ美味しそうな料理に背を向けて空腹をこらえていた。潜入捜査が私とグレイブルーの彼の仕事で、事が表立った今私が出来る仕事は何も無いのだ。それにしてもお腹が減った。
先ほど造作なく人一人殺めた幼顔の女は本当に少女だった。
何故彼女の年齢が分かったかと言うと、それは彼女が着ていた服が士官学校高等部の制服だったからである。大きな瞳と長い睫、黒い髪は肩に触れない程度に切りそろえられていて、それなりの格好をすれば十分可愛いはずなのに、賞賛すべき澄んだ瞳は虚空を捉えたままぼんやりと宙を眺めるのみだ。これではまるで、等身大の人形のようだ。今はパーティに疲れた客が座って休むように設えられた高価そうな椅子に座っている。
広すぎるバルコニーには彼女ともう一人の女(彼女はどうやら軍人で少女の上司のようである)が乗ってきた『ソレ』が跪いている。心無き機械とは分かっていても人の形を模して作られているせいで、やたら神々しく見える。女性をモデルにした緩やかなデザインにゆっくりと走るエネルギー流。流れるたびに生命感をまして行くようで気味が悪い。
ドレスの女は後から来た軍人と言う名の暑苦しい連中を指揮してこのビルの警備に当たっている。よって今この場にはいない。
私は少女に視線を戻した。ライフルを抜き身で膝に置いたまま輝きの無い瞳とかち合う。
どうしたものかと少し微笑んで見せれば、一瞬ぽかんとしたような呆けた顔をした。ひょっとしたらこの子は生まれてこの方感情と言うものを生やさず今まで生きてきたのではなかろうか。
急に色を取り戻した瞳は少しだけ宙を彷徨って、薄い唇の裂け目から控えめに「こんにちは」と言う音を発した。
「あなた、学生?見たところ士官高等部の制服だけれど、今何年生?」
私は彼女と会話を試みる。
「…ええと、一年生です」
「そうなの。今は学校で実習中なの?」
実習で人を殺すなどと言うカリキュラムがあってたまるかと思うが、気付きたくない真実を捻じ曲げたいがためにあえてそう聞く。それは彼女にとってとても嫌味ではあるだろうけれど。
「いえ、私はもう……その」軍人なんです、と消え入りそうな声で彼女は言った。「私、未成年だから士官服を配給されなくって」
私は何と答えてよいやら考えあぐねてそうなの、と繰り返した。
「人を、殺す事はどう?」
「……」
「仕事だと割り切っているのかしら」
「……」
「……」
「……」
「『アレ』を操縦しているのもあなた?」
「……あ、あの、」
苛め過ぎたか。少し大人気なかったかと謝罪をしようと口を開くが、続く彼女の言葉に私は成すすべもなく口を噤んだ。
「私は、人を殺す事は嫌いじゃありません」
「……」
「そういう命令だったなら、私はいくらでも、何にでもなります」
虚のような黒い瞳。その奥にある何か冷たいものがゆっくりと輪郭を見せる。
この、十五かそこらの女の子に、私は力いっぱい恐怖した。まるで、血の流れている機械人形のように、鈍く光る、何か。
「……あ、」
言葉が音にしかならず私は数歩後ずさる。
彼女は少しだけ口角を持ち上げて笑って見せた。笑っているのに、その笑顔に生気が無かった。
「…ん」
弾かれたように少女が顔を上げる。視線をたどるように振り返れば黒いドレスの軍人の女がこちらに近づいてきていた。彼女もまたどこか人間臭のしない無機質な美人であった。
「帰ろ」
短い帰還命令少女は頷くと椅子からぴょこんと立ち上がった。
やっと歳相応な動きを見る事が出来て安心したのかいつの間にか詰めていた息がようやく体外に排出される。
「婦警さん」
バルコニーに向かう途中で少女は足を止めて私を見た。
「婦警さんの守りたいものってある?」
「……」
私が答えられないでいると彼女はバルコニーに控える大きな『ソレ』を見やった。
「私には、守りたい人がいます。助けたい人が、いるんです」
大きな瞳が私を捉える。
「守るために殺します。…あの子と、一緒に」


私は、彼女に興味を抱いた自分を意識した。