1 Die heilige Frau Kummernis

 

ずるっと肘から顎が落ちて意識が浮上する。
長い長い講義の時間。お弁当と休み時間だけが今のところ私の明るく楽しいスクールライフだ。
教師は白いスクリーンに映されたグラフの解説に躍起になっている。教師も退屈そうだ。面倒くさいというオーラが出すぎて教師の体が薄く透けて半透明になっている。
彼は今この星のちょうど反対側にある大きな学校で講義をしている。
中継映像を三次元化して臨場感溢れる授業に云々、というわけ。勿論、この授業を受けるのにはそれなりに学力が要る。選考制。選ばれた生徒だけが高いクオリティの教育を受けられる。だからと言って、鼻高々にそれを自慢する気にはならない。
それも、私にとってさしたるブランドではないのだから。
「二コラ」
後ろから私を呼ぶ声がして、涎が付いた手のひらをそこはかとなく隠しながら私は振り向いた。
「なに」
「オヤジ、うざくね?テスト持ち禁だってさ」
友達の佐上クリス。二つ上のお姉さん。彼女が留年したのではない。私が、飛び級という場違いな存在なのだ。
「・・・マジで?」
「マジよ」
あーた、寝てたの?とクリス。
「アタシ、今度こそ駄目かも」
堪えることも無く、ふわわわわわと大あくびをぶち噛ましながら、今度こそ落第する確信を得る。今落第したら、同じ歳の子たちと同じクラスになって、こんなに朝から晩まで大学進学のため『だけ』の授業なんかに参加しなくて済むのかな。
なんて口には出さない。このクラスに入ることを目標にして、引いては名のある大学に進学することを夢見るクラスメイトたちの燃える闘魂に水を差してはいけない。クリスもその一人ではあるのだし。
「ちゃんと授業、受ければいいんじゃないの?天才さん」
クリスの隣の席の、戸田マリアがにやりと笑って口を挟んできた。この人の、織り交ぜられる厭味がいやだ。
マリアもまたかの有名な大学に進学することを熱望する一人である。有限実行型の人間。宣言するの大好き。そんな人だから、余計に苦手だ。
このクラスにおいて、私は何をしても異端の存在なのだ。例えば、今みたいに寝ていても、普通なら目もくれられない落ちこぼれの『脱落者』。けどそれが私である、ただそれだけでそれは『余裕がある天才』という事になる。
だから私は言う。
「そうかもね」
否定もしない、だから余計に恨みを買うのだ。
ご多分に漏れず、マリアはかちんときたようだった。マリアが立ち上がる。クラス中が板書する手を止めて何事かと色めき立つ。中継教師は次のスライドの説明に入っているのが酷く間抜けだ。
寝ていないのだろう。マリアの顔は疲れていた。昨日も夜遅くまで勉強したに違いない。
言った分の努力は欠かさないのも、マリアなのだ。
その彼女は寝不足で真っ赤に充血した、更に目を血走らせて口を開く。
私はそれを見上げる。クリスはおろおろしている。
「そ」
ガラ―ン ガラーン。
マリアが何かを言おうとした瞬間に、終業の鐘がなった。録音ではない。
この校舎は、元は修道院で学校に改装されて、ゆうに200
年は経っている。金がアナログだって別に驚くことではない。
余りに歴史がありすぎて鐘を吊るしていた鎖が劣化していたのか千切れて、金属の塊である鐘が鐘楼を壊しながら落下したという事件があるくらいだ。一昨年のことだったと思う。
何故その時に吊るしなおしたのか、私には理解しがたい。
「帰る」
授業が終わればこんなところに用は無い。
私は立ち上がった。すでに教科書は机の中。ノートは鞄の中だ。
教室の引き戸を開けたところで、後ろからマリアの絶叫が聞こえてきた。
怒りと憎しみの篭った恐ろしい声だった。
「アンタなんか、死ねばいいのに!」

 

マリアは先月の模試で二位だった。

一位は誰か、なんて聞かないで欲しい。